父・叔父・母のこと

父、母、叔父に関するブログ

 

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父の月命日

母とお墓へ。明日は祖母の命日だ。父と祖母は一日違いなのでいつもは27日の父の命日にお墓へ行く。何度行っても父がここにいるという実感はわかない。

きっと信じたくないのだろう。

心のどこかでは父にゆっくり眠って欲しいと思っているが、又違うどこかで「父がいない」という空洞は埋められずにいる。

ゆっくりと時間をかけていくほうがよい、とある人に言われたが時々波がやってくるように「恭平と父」がいない実感がわいてくる。

とはいっても振り返るとその波は小さくなってきたような気がする。

四十九日

O氏の四十九日が今日だった。本当に早い。あっという間に日にちは過ぎてしまった。

まだまだ、と思っていたけれど今日になったときにはどこか神妙な気持ちになった。

最後にお会いした日、「又来てくれ」と言って別れた。ところが、お会いすることが出来なかった。実は、最後にご自宅にお邪魔した日の翌月、自宅の近くを通った。その時母に「自宅に寄ってみようか」と提案した。ところが母は拒否をした。亡くなったと聞いたあと「あの時会いに行っていたら」と後悔を感じた。

今週の金曜日

O氏の四十九日がある。お線香を上げに伺いたいと、母がO氏の自宅に電話をしたところ「来てください」と言って下さったそうで、出かけたいと思う。

その時「うちの人がNさんに渡すと言ってお線香とろうそくが置いてある。もらって頂けないか?」と言われたそうだ。

掲示板の意味

じみぱさんとやまとさんと闘病をともにしてきて、支えられたことの一つに某掲示板がある。あの掲示板があったからこそ・・・という事も多くあった。当時は書き込みをしなかったが、お二人から個人的に励ましをもらったり、ご好意を頂いたりした。私にとっての掲示板は自分を励ます場所であったのは間違いない。
しかし、書き込みをしているうちに自分の場所のようになっていったのも事実で、公の場所で、誰もが読むことが出来るということを少し遠くに感じることがあった。しかし、やはり基本は公の場所であるということだろう。

私はニブイ

オフ会がこの土曜日と日曜日にあった。父の闘病が始まって始めて掲示板に投稿をしたのだが、その時に会話を交わしたのがあのじみぱさんとやまとさんだ。その後はずっと掲示板でのやり取りをしていた。他にも掲示板でやり取りをした方も参加し、先週末に会うことが出来た。

正直言って会うことは無いだろうと思っていた。闘病中はお互いに忙しく、その後も皆精神的にはあまり良い状態ではなかった。しかし、タイミングとしては、1年ほど経過した今が一番良かったのかもしれない。

辛い

ビグさん、かもみーるさんのお父様が旅立たれた。お二人の悲しみを考えると、辛い、悲しい、苦しい、などの気持ちが押し寄せる。

しかし、お二人にとってはよくないことかもしれないが、あんなに一生懸命にお父様のさせになってこられた姿に感動を覚えている。

運命という言葉があるなら、その避けられない運命を前にして人がどれだけのことが出来るのかと思うことがある。天災などの被害にあわれた方々もその運命の被害者とでも言うのだろうか?

しかし、その運命に対抗できるとしたら、人は支えあう、愛情を与え合う事なのかもしれない。

父の時計が止まった 1

    

父の時計が止まった 1    編集 | 削除

父の部屋の時計が止まったのは、1月7日だった。こんなに早く時計は止まるのだろうかと、不思議に思ったが止まったままにしてある。この時計がその前に止まったのは父が最後の入院をした頃だった。一年三ヶ月前だ。

そして、1月8日、父の小学生からの同級生のO氏が死去されたと連絡を受けた。ドキッとした。あの時計を思い出す。

謹賀新年

あっという間に一月五日。振り返ると昨年の一年は何をしたわけでもなく過ぎていった。新聞屋さんのおまけでついてくる占いの本には「飛躍の年」などと書かれていたことを今更ながらに思い出す。ちなみに今年のおまけには「低迷」と書かれていた。

私は簡単なことなら占いをするので、きっと占いには興味があるのだろう。しかし、私のする占いは迷ったときにするもので一年の予告じみたことは占えない。

占いとは占う側に度量がないと結構難しい。達人の域に達すると占いをしなくとも、答えが出ると聞く。それだけ度量があり人生を見る目に長けているのだろう。

2004年12月

12月26日
父が病に倒れてからの2年余りは、私にとってはとても早かった。早いと言う言葉もきっと適切ではないだろう。どちらかというと月日の感覚が無いと言うほうが正しい表現だ。
生きていられる時間には期限がある。その期限が何時になるのかは誰にも判らない。しかし、その期限を目の前にすると、人はオロオロし戸惑い、どうすべきか苦しむ。誰も知らない期限を恐れ、もがく。

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