今週の金曜日

O氏の四十九日がある。お線香を上げに伺いたいと、母がO氏の自宅に電話をしたところ「来てください」と言って下さったそうで、出かけたいと思う。

その時「うちの人がNさんに渡すと言ってお線香とろうそくが置いてある。もらって頂けないか?」と言われたそうだ。

O氏は最後に私の家に来てくれたとき「又来る」と言い残した。そしていつも来るときには、「何か」を持ってきてくれていた。お母様が亡くなられた時に覚えたというお経も父の仏壇に唱えてくれた。ずっと、O氏の「又来る」という言葉どおり来てくれることをずっと待っていた。昨年の夏、一向に姿を見せないO氏に疑問を持ったが、でも「又来る」の言葉が頭の中を通り過ぎる。言葉だけの人ではない。そう信じていた。ところが入院をされていると聞いたとき、「又来る」という言葉は、「会いに行く」という言葉に代わった。

しかし、今「お線香とろうそく」がO氏の変わりに「又来る」と語りかけているような気がした。

私も、最後にO氏のお見舞いに伺ったとき「又来ます」と言い残した。その言葉どおり会いに行ってこようと思う。

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