父の時計が止まった 1

    

父の時計が止まった 1    編集 | 削除

父の部屋の時計が止まったのは、1月7日だった。こんなに早く時計は止まるのだろうかと、不思議に思ったが止まったままにしてある。この時計がその前に止まったのは父が最後の入院をした頃だった。一年三ヶ月前だ。

そして、1月8日、父の小学生からの同級生のO氏が死去されたと連絡を受けた。ドキッとした。あの時計を思い出す。

O氏と父は毎年同年会や、同級生仲良し6人組で旅行へ出かけたりしていた。旅行から帰るとO氏のうわさをよく聞いていた。タバコも吸わない。お酒も飲まない。非常に品行方正で父はそんなO氏のことを「くそまじめ」と表現していた。

父が発病し、「顔を見るのが見舞いだ」と毎月父に会いに来てくれた。父がホスピスに入院をした後、私は父の友人に父の容態が良くないことを隠していた。弱った父を見て欲しくなかったからだ。しかし私はO氏に連絡を取り「父が会いたいと言っている」と伝えた。「父を見ると辛くなるかもしれない。なので私の気持ちとしては見ないほうがいいとも思う」と付け加えた。

翌日すぐに仲良しグループで父に会いに来てくれた。旅行へ行った写真を父に見せ、いつもと変わらない態度で父に接し、いつもと同じ笑顔で楽しい時間を過ごした。帰り際「よく連絡してくれた。会えてよかった」と言ってくれた言葉に涙した。

父の葬儀で「俺達にはお金を使うな。あいつ(父)が一生懸命意働くのは当たり前だが、そのお金を自分達のためにとっておけ」と気を使ってくれた。

父が亡くなった後も父に会いに来てくれた。父の好きだったたけのこを持ってきてくれたり、父の若い頃の写真をわざわざ持ってきて見せてくれた。その写真を見ながらO氏と父の悪口を言い合い笑った。それまでは辛い父の表情などばかりを思い出し涙していたのに、在りし日の父を思い出す事を教えてくれたのもこのO氏のお陰だ。

そんなO氏が悪性リンパ腫で入院していると聞いたとき、私にショックが襲った。お見舞いしてO氏が以外に元気そうであったことを安心した。別れ際「お父さんに会いに行くつもりでいたがこれでは行けない。今度は会いに来てくれ」と言った。もちろん退院されてからも自宅に会いに出かけた。元気そうであったのに。。。。

お通夜とお葬儀にお別れに行ってきた。

そこで知らなかった事実を知ることになる。このO氏には私と同じぐらいの年齢の娘さんと弟さんがみえる。どちらも結婚をしていないため、孫の顔を見ていないのは、私の父とこのO氏だけだ。O氏は子供達のことに触れる事は少は非常に少なかった。「娘はきれいなんだ」と「持っている株はいずれ息子の物になるが、それでいいさ」ぐらいだ。O氏は株好きではないが、自分の小遣いを株に投資していた。断っておくが小遣いといってもかなりの額である。年収の数年分はあるだろうか。

そのお通夜だが、娘さんは凛として、しっかりとされていた。きれいな方であった。私はお通夜でも葬儀でも涙を流し、みっともない姿をさらしたが、この娘さんは固く口を閉ざし、じっと一点を見つめ耐えているという表情が印象的だった。そして知らなかった事実とは、息子さんは体が不自由だったことだ。細かいことは省くが歩くことが非常に困難であるとだけにとどめることにする。喪主も長男であるこの息子さんは勤めなかった。硬く口を閉ざし、じっと耐える姿は娘さんと同じだった。。。。

この事実を父の同級生も誰もが知らなかった。O氏はかたくなに胸の中にしまっていたに違いない。ご苦労もあっただろうと思う。きっと息子さんのためにと、一生懸命働き、まじめに人生を遣り通してきたのだろう。人にきまじめだと言われようと、残すものを残したかったのかもしれない。そして人の痛みがわかるからこそ、父に対してお見舞いを欠かさず亡くなった後も私たちを気遣う心を持っておられたんだろう。

今振り返ると、このO氏の一言一言に意味があると思える。息子さんのために残した物も、親であるO氏のありったけの愛情だったと思う。

今振り返っても、O氏の静かな表情と、暖かい笑顔は素敵だった。ただ今は静かに眠って欲しいと願うばかりである。。。。。。

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