父・叔父・母のこと

父、母、叔父に関するブログ

 

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こんな時間に

明日は叔父の顔を見に行く。10日前後での退院が予定されているらしいが、それだけ順調なのだと思う。

とにかく叔父が笑顔を見せてくれる事を願っている。

私はもちろん笑顔で通すつもりでその準備のためにパックをする予定だった。

が、気がついたらこんな時間だ。

面倒なので、パックは中止。

それより早く寝よう。。。。。。。

入院

叔父が明日入院する。前に叔母と話をした時には癌が3センチと言っていた。今日叔父は昨年の手術後、肝臓が3センチしか大きくなっていないと言う。一体どっちが正しいのか・・・・・どちらにしろ3センチという数値に狂いは無いので、何かが3センチ変化したのは間違いない。

明後日に主治医から手術や状況の説明があるらしいが、できることなら私も聞きたい。しかし、私がそこまででしゃばることは良いのか悪いのか・・・・

叔父は来なくていい、と言った。もちろんお見舞いにもわざわざ来なくていいと言った。

お花が手に入り、早速お墓参りへ行ってきた。相変わらず、父が眠る場所とは認めがたい。

父ともよくお墓参りには来ていた。最後に行ったのは平成14年12月1日だった。お稲荷さんへ一緒に出かけその帰り道に寄ったのだが、今でもあの時の光景は覚えている。もちろん愛犬3匹も一緒だった。時々この時の事を思い出しながらお墓を掃除している。

懐中時計

子供の頃に片親を亡くすということは非常に辛い経験だと思う。私には経験が無いが、父が6歳の時に父親を亡くした、という事を何度も聞かされ、そして病に倒れてからも言ったことがある。幾つになっても忘れる事の出来ない経験なんだと、その時に感じた。

大人になってから親を亡くした場合は、親としての役目を成長するまでに十分に受け取る事ができたのだから、それだけ幸せなのだろう。

たけのこ

たけのこを掘ってきたので渡したいとO氏の奥様から連絡を頂いた。父とO氏は一緒にO氏の持つ竹やぶへたけのこ堀へ出かけていて、今ではたけのこは二人の思い出となった。ちょうど昨年のゴールデンウィークの頃、O氏が掘ってきたたけのこを父にと、もって来てくれたのだが、あれからもう1年が経つ。時の経つのは本当に早いと感じる。

叔父からのメール

改めて返事が来た。「肝臓の働きが悪いので検査をする」と以前にも電話で話した内容が書かれていた。忘れたのか、それだけ心配なのか判らないが検査をして、結果が出るまでの間というのは、不安が多い。誰でもそうだと思うけれど、ドキドキするし、悪いことも考えてしまう。

考えるのを止めろというのは、無責任すぎる気がする。ならば、何が一番いいのかというとその答えは見つからないが、開き直るというのも方法だとは思う。

叔父からのメール

「あまり食うな 叔父より」

だった。確かに最近食べ過ぎの感じがある。メールを読みながら、麦チョコ食べてたしなぁ。偶然とはいえ・・・・・

 

 

そういえば「さくらが散歩をせがむ」というのがどうして判るかという問い合わせを頂いた。

叔父

今日は叔母と電話で話した。叔父はなんとか元気にやっている様子。しかし背中に鉛をしょったようなだるさがあるため、疲れやすくだるいのは続いているらしい。

カンちゃん

お父様が他界された。非常に残念としか言いようが無い。後2週間と宣告され2ヶ月以上頑張られた。これは、たとえ誰がどんな専門的な知識を持って余命を図っても、本人の力が一番正しいという事なのだろう。そう思うとカンちゃんのお父様が本来持っていた力がどれだけ強かったかを知る。本当に強い方だったと思うし、よくここまで家族に答え頑張られたと思う。感動すら覚える。

運命

最近、自分がいかに他力本願的要素をもっているかが判ってきた。仕事を探すといいながら、いい仕事がそのうち見つかるだろう、といい仕事がどこかから飛んでくる、ぐらいののんきさで構えているし、キッチンの電球がパカパカしていて今にも切れそうなのに、誰かが変えるだろうとほっておいたり、非常によろしくない。

電球に関しては、父が変えてくれていたので自分で変えるという行為が自分にとっては不自然でならないが、そのほかのことはもう少し自分で欲する態度をつよくしないといけないだろうと思う。

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