- Posted By: sakura-marina
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父の友達
毎年、この季節になると父の友達のO氏のお宅から竹の子を掘ったので取りに来てください、という連絡がある。
O氏も生前はこの季節に届けに来てくれていた。
そして、父とO氏の会話も思い出す。
一緒に竹の子を掘りに行こう、と約束をしていて、約束を果たす前に父が病に倒れてしまったが、それでもO氏は体調の良いときに行けばいいから、と父を励ましてくれていた。
父、母、叔父に関するブログ
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毎年、この季節になると父の友達のO氏のお宅から竹の子を掘ったので取りに来てください、という連絡がある。
O氏も生前はこの季節に届けに来てくれていた。
そして、父とO氏の会話も思い出す。
一緒に竹の子を掘りに行こう、と約束をしていて、約束を果たす前に父が病に倒れてしまったが、それでもO氏は体調の良いときに行けばいいから、と父を励ましてくれていた。
父の母は33歳の時に夫が亡くなった。当時「後家」という表現で世間の風当たりは厳しかったらしい。父を長男に5人の子供を抱え大変な苦労があったという。
一度も着ているところを見たことがないが、ずっと父のクローゼットにかかっていたジャケットを時々着ている。私にはかなりデカいのだが、それでもしっかりと防寒してくれるこのジャケットは中々いい。
父の買い物に付き合って買ったダウン・ジャケットは私が顔面から転んだときに穴が開いてしまったが、それでも捨てられずに、袖を丸めて2匹のベッドにかぶせて掛け布団代わりに使っている。これが軽くて暖かいらしいのだが、1着しかないので2匹はそのベッドを取り合っている。
初めて知ったけれど、故人の部屋や所有物を片付ける業者があるらしい。驚いた。で、家族に知られてはいけないものが出てきたときはこっそり処分するということだ。
男の人は「城」を持ちたがるものらしい。孤独になれる場所って事なのだろうか?その辺の気持ちは男性に聞かないと判らないけれど、父も自分の部屋を持っていた。その部屋もほこりになるといけないからケースに入れるなどの片付けはしたけれど、ほとんどそのまま残っている。
誰も使う予定がない部屋なのでそのままになってしまっている感じがないでもないが。
某掲示板のトピがなくなるようだ。
今、最後の投稿をしてきた。
私がネットの社会と初めて触れ合ったのはもう、9年ほど前だ。ネット関係に詳しい友人に教えてもらってはじめた。
しかし、当時は接続料が高く中々思うようにはならなかったが、接続料が安くなってからはネットを利用する時間も増えていった。
あっという間に父の命日が過ぎてしまった。
日々を過ごしていると3年という月日は長く感じる。しかし、3年経った今からあの日を振り返るととても短く感じるから不思議だ。
目を閉じると父との闘病の時間がすごく遠くにあるし、父の部屋を掃除すると元気な頃の父の存在がすぐ近くにある。本当なら時間の経過どおりに父の存在を遠くに感じ、闘病を近くに感じるはずなのに、今では元気な頃の父の方が私には近いところにある。
それは急にそうなったわけではなく、徐々にそうなって行った感じがする。
あれから3年。がんセンターへ用があり当時主治医だった先生と、看護師長さんの顔を見てくることにした。
お仕事の邪魔になってはいけないので病棟へ行ってそこにおられるようならお顔だけでも拝見しようと思い病棟へ上がって行った。なつかしい。毎日通ったその廊下、階段、休憩室、すべては3年前と変わらずで、時が戻ったような感じすらうける。
叔父にメールを送ったけれど、返事がない。
なんだかちょっと心配。。。。
毎日、パソコンをチェックすると言っていたし、メールの返事はいつも来ていた。
パソコンが故障した、なんていう理由ならいいのだがとにかくファックスを送ってみようと思う。