四十九日

O氏の四十九日が今日だった。本当に早い。あっという間に日にちは過ぎてしまった。

まだまだ、と思っていたけれど今日になったときにはどこか神妙な気持ちになった。

最後にお会いした日、「又来てくれ」と言って別れた。ところが、お会いすることが出来なかった。実は、最後にご自宅にお邪魔した日の翌月、自宅の近くを通った。その時母に「自宅に寄ってみようか」と提案した。ところが母は拒否をした。亡くなったと聞いたあと「あの時会いに行っていたら」と後悔を感じた。

私がO氏に会ったからといって病が治るわけでもない。しかし、「又来てくれ」という言葉は心のここかにずっと残っていた。「又来ます」と答えた自分の気持ちにうそは無く、そのつもりでいた。しかし、色々なことが邪魔になり、行動を抑える。例えば「母が行かないと言った」とか、「突然の訪問は失礼」などだ。

O氏の葬儀の時、父の同級生が泣きながら母の所へやってきて「仏壇(私の父の)におまいりをさせて欲しい」と言った。この女性の夢の中に父が出てきたそうだ。入院をしていた父に対し「女性だから」とか「病院が遠い」という理由で行くのをためらったそうだ。しかし、父が夢に出てきたとき苦しかったという。どうしてあの時何がなんでも行かなかったのか?どうして顔を見るだけでいいから、行かなかったのか?そう思うと苦しくてたまらないと泣きながら言われた。

後悔は人を苦しめるものだと思うけれど、それを非常に強く感じた瞬間でもあった。その後悔というものは、言い訳を作ることから始まるような気がする。迷いを感じたとき誰でも作るものでもある。

今、私は「あの時に会っていたら」と思う気持ちを、あのときに作った言い訳の数倍の重さで感じている

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