父・叔父・母のこと

父、母、叔父に関するブログ

 

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叔父の夢

久しぶりに叔父の夢を見た。

夢の中の叔父は元気な姿だったが、内容を覚えていない。

とりあえず、メールを送っておこうかな。。。。。

叔父は癌と4年向き合っている。

長いのか短いのか判らないが、父の闘病は1年で結果は残念なことになったことを考えると、随分頑張っていると思う。

もちろん、部位も違うし種類も違うので比較はできないが、今でも思うのは病であってもいいから生きていて欲しかった、ということだ。

そう思う人は多いのじゃないだろうか。

母が旅行から帰ってきた。



父がその旅行に参加したのは、発病してからだった。皆で父を囲み和を作り、励ましあい、そして歌の苦手な父が歌を披露した。そして、その時の一生懸命な姿はいつまでも皆の心に残っていた。

その旅行で一人が、父が最後に歌った歌を皆で歌おう、と言った。そして、一人が歌い始めた瞬間、仲間の男性達全員が泣いたという。

あの時のあの父の姿を思い出し、そして、最後まで頑張ったホスピスでの姿を思い出し、泣かずにはいられなかったと。

母が旅行へ

父の生前からずっと続いていた、仲間達との旅行。

父がいなくなっても母を誘ってくれるとてもいい仲間達だ。

先ほどそのメンバーの一人からメールがきて、父の話で盛り上がったという。

とても嬉しいことだ。

 

命日

父の命日が27日。祖母の命日が28日。

一日違いっていうのは不思議だけれど、思い出すときには一緒に思い出す。

祖父は父が6歳の時に亡くなったので、写真でしか知らないが命日は18日だった。

父の誕生日が18日で、恭平が亡くなったのが18日。

それも偶然だろうけれど、18日が近づくと見たことの無い祖父と父、そして恭平を思い出す。

ちなみに弟の誕生日が18日。母は28日。

味噌

うちで作っている手打ち味噌と、うどんを茨城の叔父に送った。そのうち茨城に遊びに行きたいというメッセージも送った。

携帯のメールを始めたようで、こんな返事が・・・

「食べ物を送ってくれて有難う、お母さんにも伝えてほしい。サスケは相変わらず吠えぬいている、茨城に来るのはいつでも良い、暑からず寒からずの時期が良いかと思う、お客様扱いはしないからその心つもりで来る事。飯ぐらいは食べさせるから安心して欲しい 叔父さんより」

前に叔父の家に行った時も「メシぐらいは食える」とファックスが来た。叔父らしい。

なんと!!!! がんが消えた???????

近くに住む叔父が先月茨城の叔父に会いに行ってきたそうだ。

手術をしてから5ヶ月ほど経過するが、手術後の検査で癌が消えてなくなったということらしい。手術で癌が全部摘出できたから癌が消えたのか、取りきれなかった癌があったのに消えて無くなったのか定かではない。いや、癌が再発していないことを言っているのかもしれない。どちらにしても癌が消えた、という表現をするのだから順調だと言うことだ。

体調もいいのかお酒は飲むしタバコは吸うし元気な頃と何一つ変わりない姿で安心をして帰ってきたそうだ。

早いもので

もう8月も終わりに近づいてきた。

時々近所の人や友人たちを自宅に招きバーベキューをしたていた。父は招かれるより招くことが好きなタイプで、家に人が集まることは嫌いでなかった。

父がいなくなってからはそういう機会が減ってきたが、時々あのバーベキューをした日を思い出す。

父の友人達を自宅に招きバーベキューをしたあの日だ。

あの時、とても嬉しそうに過ごしていた。恭平もいた。

叔父

しばらく連絡を取っていない間に、叔父は手術をしたということだった。
今は、少しずつお店に出られるし、なんとか元気にしているという知らせで、嬉しい半分、心配半分。。。。。。

ただ、手術を嫌がっていた叔父が決心をしたことを考えるとこれからも何とか元気で頑張って欲しいと願うばかりだ。
叔父が入院をすると毎回東京まで出向いていたが、わざわざ足を運ばせたくないと思う人なので、又茨城へ遊びに行くという口実で顔だけでも見に行きたいと思う。
今日はしんどくて早く布団に入ったというし、もう少し体調が整ってからにしよう。

命日は過ぎたが

父の誕生日は5月18日。

毎年何をプレゼントしようかと考え、父の日とまとめて一つ送ればいいか、などと勝手な事を考えていたが、今となっては誕生日も父の日も関係ないのが少々寂しかったりする。

振り返ると、大したプレゼントなどはしなかった。それでも父の部屋に私が送ったブランディーのボトルが飾ってあるのを「これはいいぞ」と言った父の言葉が耳に響いてきて、どうして父は・・・・などと思う事が多かった。

今は花を飾り、遠くの父に挨拶をする、という事が徐々に当たり前のことになってきている。

背中

何気ない瞬間に父の姿が浮かんでくる。

その姿の多くがなぜか背中ばかりだ。



よく親の背中を見て育ったなどと表現するが、最近になって気になる言葉の一つとなっている。なんとなく判ってはいてはいるし、そんなものだろうな、とさらっと流すことはあっても、実際にその意味を理解出来る人は多くはないんじゃないだろうか。

私もその一人で、実際に親の背中を見て何を学んだか、どんな影響を受けたのか言葉には言い表せない。



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