カンちゃん

お父様が他界された。非常に残念としか言いようが無い。後2週間と宣告され2ヶ月以上頑張られた。これは、たとえ誰がどんな専門的な知識を持って余命を図っても、本人の力が一番正しいという事なのだろう。そう思うとカンちゃんのお父様が本来持っていた力がどれだけ強かったかを知る。本当に強い方だったと思うし、よくここまで家族に答え頑張られたと思う。感動すら覚える。

危ないと言われなくても、ご本人が苦しむと家族は楽にしてあげたいと望む。しかし、それを望むことは「死」を望む事になるのかという矛盾が生じる。そう望むことはひどいことなのかという自責の念すら覚える。しかし、仕方の無いことであると思う。カンちゃんにもメールで話したが、人間の苦痛には「老い」「病」「死」という3大苦があると私の家の住職から教わった。病に倒れ死を目の前にするなら同時に「病と死」という苦しみを目の当たりにする。当然非常に苦しい。私もやはり経験した苦しみだ。

しかし、苦しいということは同時にその人を愛しているという事でもある。その苦しみは逃げようが無いが、乗り越える必要のある苦しみなのだろう。これはきっと人間に与えられた試練でもあるのだろうか?

どうしようもない運命を目の前にすると人は弱い。運命の法則を少しだけ借りるとすると、どうしようもなく辛い出来事の裏には違う一面も持っている。それは、人にあたれられたこの苦しみの裏には「愛情」という一面があるからという事だと思う。

カモさん、ひーちゃん、ビグさん、それぞれに共通することは「大きな愛情」であると改めて思う。

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