父・叔父・母のこと

父、母、叔父に関するブログ

 

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お盆

今日はお盆が終って、送り火でご先祖様を送った。
未だにこの儀式の意味が良く判っていないが、すべきこととしてこの時期にはいつも同じ事をする。

決して父のいない生活には慣れないが、受け入れなくてはいけないことだけは確かである。
当たり前の生活は、幸せと言う言葉にもつながり、当たり前が当たり前でなくなった所から又新しい何かが始まる。その過程の中で、苦しいほどの寂しさ、悲しさは、愛おしさ、慈しみ、悼みの伴う悲しみに変わっていくのだろうか。。。

手紙

ちょうどお盆で、花代を送ってくれてそこに一筆が入っていた。

母に向けて、抗がん剤をはじめたが始まったばかりなので、あと数日しんどい日が続くだろう、と書かれていた。
短い文面だったが、叔父の状態が手に取るように見えてくる。
無理をしなくてもいい、と100回言っても叔父はこうして手紙を書いてきただろう。

そして
最後に「M(私)に又メールする」と書かれていた。

しんどいから、返事も大変では、と思いメールをしなかったが
明日は、叔父に長文メールでもしてみようと思う。

叔父

今月から抗がん剤を再開したということだ。

癌の一部が大きくなってきたので、決断したということだが副作用が一番イヤだそうでそれでも頑張らなくてはいけないという気持ちでいる。

先日、本棚を整理していたら叔父からのファックスの一枚が見つかった。所定の場所にしまっているが、一枚だけ本の間に挟まっていたようだ。日付を忘れてしまったが、今はメールでやり取りをしているので、ファックスと言うことは随分前のものである。
そこに、「まだ未練があるから、頑張る」という一文があった。それから数年。今の叔父は十分頑張っている。

父のナイフ

仕事の関係なのか、父は自分でナイフを作っていた。どうやら材料から仕入れていたようだが今では詳細ははっきり判らない。
父がいなくなった後のこと。
ダイニングテーブルの父専用の引き出しの横に置いてあったナイフを弟に譲ろうかと思ったのだが、父は左利きで、弟は右利きなので左利き用の刃の研ぎ方のしてあるこのナイフは使えない、といいそのままになっていた。

あれから

叔父は今月はじめに病院で検査をして、抗がん剤をする予定だった。
しかし、少し癌が増えているけれど抗がん剤を中止しても良いだろう、という医師の判断で今月も中止している。去年の11月から休んでいるらしいので、もう4ヶ月になるだろうか。

ということは、癌の成長は遅いと考えられる。
反対に、もしくは抗がん剤の効果はあまりなかったとも言える。
叔父は、抗がん剤の効果がなかったということかも、と言っているが・・・

叔父との一夜

本当はその日のうちに帰るつもりだった。というのも叔父の体調を考え長居して疲れてはいけないと思ったからだった。
しかし、思ったより叔父は元気であった。

講座受講をしていた時、叔父から電話があり
「駅についたら何時の電車に乗るか電話しろ」
と言っていたが、タクシーで行くからいい、と言っても間違いなく迎えに来るだろうと思い、素直に朝、駅から電話をした。

ただいま

今日、叔父の家から帰ってきました。

会ってよかった。
ほんとに良かった。

 

 

 

今日は眠くて仕方なくなってしまったので

明日にでも、改めて。。。

 

 

おやすみなさい。

 

 

昨日

叔父に電話をした。すでに寝ていたが叔母に会いに行きたいがどうだろう、と電話をした。

今日、叔父から電話がかかってきて、いきなり
「昨日は酒飲んで寝てしまったからな。で、今どこにいるんだ?」とな。
叔父は電車での行き方を教えてくれて、
「土曜日の夜に来い」と言う。が最後の食事会があるので行けないというと
「日曜日だな?駅に着いたら電話しろ」
と言う。
当たり前の会話だが、叔父のいつもの調子が聞けて本当に嬉しかった。

叔父から

 

叔父から 編集 | 削除

メールが来た。
治療の一部を中止していたようだが、来月から再開する予定らしい。
副作用がきついというのが理由なのだが、今の時点では副作用のない治療は非常に少ないので、仕方ないといえば仕方ないのだろうが。。。。。
それにしても治療は大変だと思う。

昨年12月で父が亡くなって5年になった。
叔父は父の年を越すまで生きる、と言っていたがその言葉どおり父の年を1年越えた。その間に叔父はおじいちゃんになったのだから、本当に長生きできたことは嬉しい。

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