叔父との一夜

本当はその日のうちに帰るつもりだった。というのも叔父の体調を考え長居して疲れてはいけないと思ったからだった。
しかし、思ったより叔父は元気であった。

講座受講をしていた時、叔父から電話があり
「駅についたら何時の電車に乗るか電話しろ」
と言っていたが、タクシーで行くからいい、と言っても間違いなく迎えに来るだろうと思い、素直に朝、駅から電話をした。

再開の瞬間に叔父は笑顔で私を迎えてくれた。
そして、
「今夜は鍋だからな。お母さんから材料を買ってこいと頼まれたが買い物などしたことがないが、お前は知ってるか?」
と聞く。
「じゃ、私が買うから」と買い物のメモを受け取った。叔父がバッグを持ってやる、と言ったが
「あ、バッグは大丈夫だから、買い物かごを持ってよ」というとやけに素直にかごを持ちながら私の後をついてくる。なんかかわいいぞ。

で、そんなにいらないよ、と言ってもとにかく沢山買いこみ、お肉も高いお肉を大量に買い込んだ。誰がそんな量を食べるのさ?

ま、そんな状態でレジに並ぶ。すると、買い物かごをレジの台に乗せることすら知らずオロオロ。益々かわいいぞ。その上、買ったものを誰かが運んでくれると思ったのか、かごを置き去りにして自分だけさっさと歩いていく。
そして引き止めると
「自分で入れるのか?」だと。
マジで買い物したことないんだな。。。。ん~。。。。

帰る途中に干物があったが、食べてみたいから買うと言い出し、その干物屋さんのおばさんに
「いくらだ?」と聞いている。
お勘定は再度レジに並ばなくてはならな事を知ると
「めんどくさいな。ここで払えないのか?」と文句をたれた。おばさんは仕方なくここで何とかします、とお金を受け取ってくれたが、案外世話のかかる人だと知る。

私が来るということで従兄弟達が集まるらしい。一番上の東京にいる従兄弟は来れなかったが、叔父の孫も来るということで何より見たかった叔父のお爺ちゃんぶりが見れることになった。
孫が来る前に「孫ってかわいいでしょ」と言うと
「冗談じゃない。うるさいだけだよ。早く帰れっていつも言ってるんだ」と言うので少々笑った。

早めに夕飯を済ませばなんとか帰れるのだが、叔父は「バカ言ってんじゃねぇよ。メシ食ってそのまま寝ればいいんだよ」とな。

いとこが来ると
孫の顔を見るなり叔父はおおはしゃぎ。
あんなに笑顔の叔父を見れたのは本当に嬉しかった。
孫が眠くなってきたようで寝かしつけるが中々寝ない。気がつくと叔父もいなくなっていた。すると、寝た孫を連れてきて
「店(床屋の)で寝かせたら寝たぞ」と戻ってきた。本当にかわいいらしい。

食事の時私が
「美味しいね。叔父さん」と言うと、叔父は
「黙って食え」とな。。。。。

抗がん剤治療は11月が最後のようだ。というのも腫瘍マーカーが悪化していないこと、CTの結果も悪くないことから、副作用が強く辛いのなら休んでも大丈夫だという医師の判断だったらしい。

食事が終った後、叔父は自分で写真を整理しパソコンの中に保存をしていた。その写真を一枚一枚見せてくれた。その中に、子供の頃の写真があり、子供の頃の父の写真や祖母の写真があった。
そして、東京の床屋に勤めていた頃の話になり、その場所へ行って見たいが変わっているだろうな。という話になったので、googleの写真が見れるやつ、なんていうのかな、とにかくそれで周辺の写真が見れるので一緒に写真で散策。すると叔父は感動し私が帰った後に自分でやってみたいという。叔父のメールでアカウントを取りgoogleが使えるようにしておいた。
更に、叔父のお店の名前がgoogole Mapで出ることを知りそこでも感動をしたようだ。

と、楽しい夜はあっという間に過ぎてしまい、翌朝身支度をした。
「忘れ物はないのか?」と聞くが
「いいよ。忘れても近いから取りに来るから」と言うと「そうだな」と笑う。
そして、駅まで送ってもらい叔父の家を離れた。
帰る時の車の中で
「先の事を考えてしまうんだ」とポツリともらした。だから、出来ることをしている、と言っていたが叔父の中では辛い時間もあり、考えてしまうと悲しくなることもあると知ると、いっそこの街に住もうかとさえ思った。

判れるとき、叔父は
「叔父さんはここで帰るからな。改札を通るまでは送らないぞ」といい、言葉どおり背を向けた。
私は少し叔父の背中を見送ったが、振り返ることはしなかった。
又会えるのだから、叔父の背中を見て手を振る事はしたくなかった。
叔父にも振り返って欲しくなかった。
だから、叔父が振り返ったのかどうか判らない。
でも、叔父も同じ気持ちだったと思っている。

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