父の法事

今日は父の法事だった。あっという間に七回忌になってしまったという気がする。

親戚が集まった様子を見ていたら、ここに父がいないのが不思議に思えてきた。変な話だけれど、本当に父がいなくなったのか? と違和感があった。

いないという悲しみは、いつしか形を変えていき徐々に受け入れることができてくるようになる。
ただ普段の生活の中で、いなくなった生活に慣れてはくるが、本当にいなくなったという事を受け入れることとは違う気がする。

だから私は悲しみは形を変えるが消えない、という表現を使う。
もう泣かなくなったから悲しみが消えたのかという事ではないし、じゃ、あのときの悲しみは日々襲ってくるのかというとそうでもない。
やはり形が変わっただけで、悲しみは自分の中に存在している。そして、日々の生活もそれにあわせるようになっていく。ただ、今日みたいに普段はないような状況では父がいないことを確認してしまう。その時に感じる悲しみは、ずっと残るのだろう。

今日の一枚
父が愛した2匹

 

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