遺伝子

命日が又近づいてきた。

毎月の命日はお墓に行ったとしても、お墓のお掃除とかお花を挿してくるとか、そんな感じで終っている。しかし、12月の命日はやはり特別な感じがする。

亡くなった人がいるかのように会話をしたり、話しかけると聞くが、私はあまりしない。返事が帰ってこない寂しさもあるが、もう一度会話をしたいと思ってしまうからなんとなくイヤなのだ。

さくらをなぜていると、恭平そっくりの横顔でまるで恭平が側にいるかのような錯覚に陥る。

恭平の変わりにさくらを可愛がっているわけではないが、やはりさくらがいるのといないのでは全く違うと思う。



ある日、知り合いが父の友人と知り合いだったことが判明した。

間接的ではあるが、妙な偶然に驚いた。そして、当たり前のように父の話になった。

すると、知り合いが「お父さんの血を継いでいるな」とポツリと私に向かって言った。

何を感じ取ってそのように思ったのか判らないが、見たことの無い父と私が似ていると感じたのがなんとなく嬉しかった。

反面、恥ずかしいと思った。律儀できちんとした父とは正反対でどこかだらしなく、面倒くさがりやで、律儀さのかけらもないと自慢出来るほどだし、まして父にはいつも叱られていた記憶しかない。

そういう人だと父が思われてたのかという不安もわいてきた。

でも、その偶然は父がいなくても父から教わったことをきちんと守り、恥ない生き方をしなさいという注意なのかもしれない。

つまり、父はいなくてもずっと居続ける。

父の背中はいつも私の前を歩き続けている。

見えなくても目の前にいる。

 

恭平の姿はさくらの中にある

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