祖母のこと

父の母は33歳の時に夫が亡くなった。当時「後家」という表現で世間の風当たりは厳しかったらしい。父を長男に5人の子供を抱え大変な苦労があったという。

私はお饅頭の粒あんが嫌いでお饅頭をもらうとまず半分に割って中身がこしあんだと食べる、という好き嫌いの激しい我侭な子供だった。ある日、祖母がお饅頭をくれたのでいつものように半分に割ると祖母が私をきつく叱った。手にしたものはたとえ嫌いでも食べなさい、と当たり前のことを言われたのだが、祖母がちょっと怖かった記憶がある。

そしてとても几帳面で恭平が我が家にやってきたときに、犬を座敷で飼うという行為を気に入らなかった。

 

いつも、父は「お前はだらしない。自分がそんなことをしたらおばあちゃんから茶碗が飛んできた」とか「肘を突いて飯を食うな!!!! なんという態度だ。自分がそんなことをしたらおばあちゃんから茶碗が飛んできた」と必ず祖母のしつけのことを口にしていた。お箸の持ち方も教えてもらったことはないが、見て覚えろ、と父のお箸の持ち方を真似させられたり、字が下手くそだと叱られもした。

確かに父はきちんとしていて反論が出来なかったし、父にかなうことは何一つない。

祖母は母一人で5人の子供を育てるのに「父親がいないからだらしない」と世間に言われないよう、どこへ行っても恥ずかしくない子供に育てようという思いが強く、かなり厳しくしたのだという。特に食事のときは目線をお茶碗から外しただけで叱るほどだというからかなり厳しい。

今はそういう事はあまり気にする人も多くないが、時代という背景が大きかったのだろう。

父はそんな祖母のしつけを忠実に守り、生涯崩すことはなかった。

祖母は84歳で亡くなった。生前、私に抹茶茶碗を遺品として渡してくれた。「ずっと前に買ったものだが自分も年を取ってきたので今のうちに直接渡したい」と言い私に手渡してくれた。

不思議なことに父には何も残さなかった。



今もその抹茶茶碗は私の部屋のキャビネットに飾ってある。時々眺めると祖母の厳しさにもう少し触れたかったと思う。もう少し祖母の若い頃の話を聞きたとも思う。祖母のしつけも詳しく知りたかった。

それから、父には何も残さなかったのがどうしてか聞いてみたかった気がする。



ただ、父が私に何も残さなかった理由は祖母の抹茶茶碗から見えてくる気がする。

父は祖母の写真をずっと持っていた。おじいちゃんの残した懐中時計もそっと持っていた。

私も、父の写真をキャビネットに静かに飾ってある。おじいちゃんの懐中時計も私がこっそり持っている。

一つだけ、に祖母のしつけは父で終ってしまったのが残念だ。

この記事のカテゴリーは: 

コメントを追加