病院で死ぬということ

エリザベス・キューブラー・ロスの”続 死ぬ瞬間” の中に、病院で死ぬこと、という記事から引用した興味深い内容がある。

「病院は病を治すと言う業務を委託された施設であり、臨死体験者たちは病院のそうした役割を脅かすものである」

これは私も実際にガンセンターで「治療をしない場合は継続して入院ができない」」と言われた経験もあるが、そういった経験を明白に表現する言葉だと思う。

"臨死体験者"を末期のがんを患った者、とすればもっと判りやすくなる。

どちらがどうだという問題ではなく、医療従事者、患者、患者の身内の全てがどこかで必ずといっていいほど経験する事であると思う。病を治すのか病の症状を治療(緩和ケア)するのかという境目がはっきりとしているのは多分がん特有の事なのかもしれないが、日本だけの問題ではないのかもしれない。

 

 

私は事故による後遺症を持っていて、どれだけ病院で治療をしても治らなかった。いくつか病院を変えたがその一つに

「治らない。後遺症と一生付き合っていくしかない」

と宣告された。これは、怪我が完治すれば後遺症で苦しまなくなるため、怪我の治療を必死に行っていたが、もはや怪我そのものを治療することは不可能で、表れた症状に気を配りひどくならないように治療を受ける、という選択を迫られたのだった。

大きく違うのはそこに「死」を含んではいことであることと、同じ病院で継続して治療ができるということだ。

 

がん治療の場合は、同じ病院ではなく緩和ケアを受けられる病院か緩和ケア病棟に移る。そこには大きな決断が必要でその決断を迫られ苦しむ人を見た経験もある。もし、私の事故の後遺症のように同じ病院で自然な流れの中で緩和ケアを受けられるとしたらどれ程よいだろうと思う。それでなくとも、多くのいたみを感じ、辛い治療に耐え、生きる希望を失わずに頑張ってきたのだ。

その中に、”病の治療をしますか? 緩和ケアにしますか?” という選択が含まれてしまうのは苦痛としか言いようがない。

いつか、改善され苦痛を感じない医療現場となってくれることを願っている。

 

 

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