父のジャケット

一度も着ているところを見たことがないが、ずっと父のクローゼットにかかっていたジャケットを時々着ている。私にはかなりデカいのだが、それでもしっかりと防寒してくれるこのジャケットは中々いい。

父の買い物に付き合って買ったダウン・ジャケットは私が顔面から転んだときに穴が開いてしまったが、それでも捨てられずに、袖を丸めて2匹のベッドにかぶせて掛け布団代わりに使っている。これが軽くて暖かいらしいのだが、1着しかないので2匹はそのベッドを取り合っている。



今日も父のジャケットを着て散歩へ出かけた。父のクローゼットからそのジャケットを出すと父から借りているという感じがして、不思議な感覚だがそれはそれでいいか、と思う。

~父が元気だった頃、父と3匹と一緒に散歩へ出かけた。ある暑い日、父が帽子を手に持っていたが公園に着くと父が「おい」と私に声をかけ、その帽子を私に手渡した。~

クローゼットに手を伸ばしたときふと、その出来事を思い出した。

なんというか、父の何気ない気持ちに触れた感覚とでもいうのか。。。。。

ただ、正直言うと寂しい。

 

悲しいというのと、寂しいというのは違う感情なのだけれど、同時に悲しくて寂しいというのはキツイ。どういうわけか、悲しくて寂しいとそれにプラスして”辛い”というのが加わるのだ。

だから、寂しいと思わないようにしよう。

悲しくてもいい。。。。

父のジャケットを着て散歩へ行けば寂しくないんだ!!!と思うようにしよう。

そうだ、そうしよう

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