命日

あっという間に父の命日が過ぎてしまった。

日々を過ごしていると3年という月日は長く感じる。しかし、3年経った今からあの日を振り返るととても短く感じるから不思議だ。

目を閉じると父との闘病の時間がすごく遠くにあるし、父の部屋を掃除すると元気な頃の父の存在がすぐ近くにある。本当なら時間の経過どおりに父の存在を遠くに感じ、闘病を近くに感じるはずなのに、今では元気な頃の父の方が私には近いところにある。

それは急にそうなったわけではなく、徐々にそうなって行った感じがする。

人は忘却という強い武器を持っている。辛いことは無意識のうちに忘れるようになっていて、反対に楽しかった事は心に留まり、自分を励ます役目をする。

心にも回復力というものがあるが、その回復力とは忘却という自然治癒の力を借りることなのかもしれない。

かといって私は父の闘病を忘れたわけではなく、むしろいい思い出に変化しつつあるのではないかと思う。案外涙もろい父が涙を流した部分を忘却し「頑張る」と前向きに闘う姿勢を良い思いでとして私を励まし、回復がないと知り苦しんだ自分を忘却し、父とともに力をあわせて病に立ち向かった父と自分を良い思いでとして励みにしていく・・・・・

「時間が解決する」とたまに聞くのだが、それもこういうことを指しているのだろうか?



今日は父の部屋を掃除しながらいまだに残る父の物を眺め、父との思い出を思い描いていた。

明日も頑張ろう。。。。。そう思えるから不思議だ

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