叔父

昨日は、久しぶりにネットの電話で話をした。

思ったより元気そうだ。病状が一歩進んだと思い心配していたのだが、入院した原因がめまいでそれが良くなったら以前と変わらぬほどに回復したという。
お酒も飲んでいるとか・・・・さすがに禁煙はしたのだがお酒は体調のバロメーターのようになっているらしくお酒が飲めないな、と思うとそれは抗がん剤治療を一旦中止した方がよいというサインになるらしい。
7月から中止していた抗がん剤治療を再開しようと思っていた矢先にめまいで入院して今もまだ治療はしていないそうだ。

それにしても相変わらず叔父のマイペースさは強さを生んでいるなと思う。
人は色々なことに縛られ、先入観の中で迷い、思い込みに振り回される。本当に生きている意味というのはそういう事を取り除いた中からしか生まれないのかもしれない。

叔父は「自分しかダメだから、と言って来るお客がいるから店を開けるんだ」といい、床屋のお店を守っている。近所には格安料金の床屋もできたし、普通ならそれで平気でお店をやれるだろうか、心配になる。しかし、叔父はその辺りは気にしていない。確かにお客さんが減ったし閑散としている日もあるようだが、何人来るかではなく、何を望まれているかをしっかりと知っている。
あの叔父の腕と心がある限り、叔父から床屋の店を奪うことは誰にもできないだろう。たとえ叔父からお店がなくなったとしても叔父の心からお客さんを思う気持ちは消えないだろう。

そこまで思える仕事を自分は持っているだろうか。。。。そう考える時、
叔父からは仕事というのは単に収入を得るだけのものではなく何ができるかという事でもある、と教えられている気がするのである。

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