ちょー さぷらいず

昼間、携帯がなり出てみると茨城の叔母だった。
「今、床屋の前にいるのよ。そちらへ向かうところ」
とな。
私「え? 急に来ることになったの? 車で?」
叔母「そうよ。もうすぐ着くわよ。」
私「は? どこにいるの?」
叔母「○○ちゃんの家の近くの床屋よ」

絶句した。

言葉どおり、すぐに家に到着した。
叔母が最初に車から出てきたが、前に乗っていた車と違うのでひょっとしたら運転手は違う人か? と思ったがマジで叔父が車から出てきた。

思わず
「夢じゃないよね? 私って寝てないよね? 起きてるよね?」と叔父に確認してしまった。
叔父は「ほんとに決まってるだろ。茨城から来たんだよ。何言ってんだ。」とな・・・・
これは、叔父が企んだ悪戯である。私を驚かせるつもりだったらしい。憎いねぇ~

そして、「仏壇に手を合わせに来たんだ。すぐに帰るからな」と言うではないか。
泊まっていけばいいのだが、店があるから帰らないといけないという。

それにしても最後に叔父に会った時より元気なのでは、と思うほど元気だった。叔母もとても楽しそうな表情が印象的で、このまま叔父の病気が治ってくれるかもしれない、と思うほどだった。

いつもどおりの叔父と叔母と時間をすごしたがあっという間に時が流れる。帰ると言ったら本当に帰る人だし、止めてもムダだと判っている。私も素直に甘えたりする可愛らしい性格ではない。しかし、初めて「もう少しいてよ」とダダをこねた。

叔父は私が小学生の時に叔母の故郷である茨城へ引っ越した。私は子供の頃から叔父が大好きだった。他のどの親戚の叔父さんより、近所の叔父さんより、誰より好きだった。茨城へ行くというのはショックでならなかった。
そして茨城へ出発するときうちに寄って、「○○子、これ、買ってきてやったからな。」とノートやクレヨンを私に手渡し「そのうち遊びに来い。」と言った。そのときのクレヨンはまだ今も持っている。
私は「クレヨンなんていらないから、もう少しここにいて」と言いたかった。でも言えなかった。あれから数十年。。。。。

あの時に言えなかった「もう少しいて欲しい」という言葉を言えたような気分になった。
帰り際車の中から「又遊びに来い。メシぐらい食わしてやるからな」と叔父のいつものせりふを口にした。
どうしてだか、涙ぐみ始めた私に向かって叔父は
「勝手に泣いてろ。オレは行くからな」と本当に車を走らせた。

そして、「○○子の元気な様子を見て安心した。こちらは9時半に家に着いた」
と短いメールが来た。

幸せな時間を本当に感謝した。
いくつになっても私は叔父が大好きだ。

さらに、つきさんからコメント頂戴した。
本当に久しぶりで、驚いた!!!!
そして嬉しかった。
忘れた事のない一人の友人である。

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