がんセンター

あれから3年。がんセンターへ用があり当時主治医だった先生と、看護師長さんの顔を見てくることにした。

お仕事の邪魔になってはいけないので病棟へ行ってそこにおられるようならお顔だけでも拝見しようと思い病棟へ上がって行った。なつかしい。毎日通ったその廊下、階段、休憩室、すべては3年前と変わらずで、時が戻ったような感じすらうける。

補助婦さんの姿を見つけたのだが、その人は当時お世話になったので覚えがあった。その人に先生と看護師長さんの居所を聞くと「あなた、覚えがあるわ」と言われた。「ちょっと待って、看護師さんに聞いてくるから」と言い、看護師さんを連れてきた。事情を話すと「あ~。私も覚えがあります。いや~、お久しぶりです」と言ってくれた。身内である私を覚えていてくれるなんて嬉しいやら恥ずかしいやら。。。。

あいにく看護師長さんは会議中でお会いできなかったが、主治医の先生のお顔を拝見することができた。

お元気そうで、以前よりどこか貫禄がでてきたような気がした。もっと懐かしい感じがするかと思ったのだけれど、案外そうでもないのが不思議だった。

心のどこかに「顔を見てちゃんとお礼を」と思っていたひっかかりがすっと解けて、スッキリした。先生も「もう随分前のことなので覚えていてくださるか判りませんが」という私の言葉に「大丈夫ですよ」と言ってくれて、なんとなく嬉しかった。とにかく、よかった。

帰りの廊下で先ほどの補助婦さんと偶然会い「しかし、お元気になられて。本当によかったですね。今日はどこの検査?」という。

なんじゃそりゃ? 私を患者と思っていたのかい? 違うよ、私のとーちゃんだよ!!!!

その人いわく、「普通は患者さんの家族の顔までは覚えていないのよ。覚えているぐらいだからてっきり患者さんかと思って」ということらしい。

看護師さんも当時の人たちは私が話をした一人ぐらいが当時のままであとはほとんど変わってしまっているということなのに覚えていてくれることは嬉しかったのだが、その看護師さんも私を患者と思っていたというから驚いた。

帰りの道路で色々と振り返えっていた。

色々な困難や壁にぶつかりながら一つ一つハードルを超え、父の人生を「父らしく生きる道」を作って行くという作業だったように思う。

そしてどんな困難も壁も、いい主治医にめぐり合えたこと、父らしく最期まで生きれたこと、そういう結果のためには必要な困難だったような気がする。いや、乗り越えられたからこそめぐり合えたのかもしれない。

そう思うとすべての人、すべてのことに感謝したい。

そして、誰でも人生に波があるが、父の闘病はその長い人生の波を凝縮しただけのことかもしれないとも思った。色々な人と係わり合い、どのように生きて、目の前の困難とどのように付き合うのか。

悲しみ、苦しさ、辛さ、それらは半端なものではない。しかし、その中に見つける喜び、笑顔、幸せ、それは何に変える事もできないほど素晴らしいものでもある。

棚からぼた餅式に授かった喜びは浅はかで消えるのも早い。しかし、必死になってつかんだ喜びがたとえ一瞬であったとしてもそれは余韻となって長い間心に残る。

ふと、父が釣りへ行ったときのとても嬉しそうな表情が浮かんできた。

何気ない会話をしているときに見せる父の笑顔が優しかったことに気がついた。


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