おじさん

叔父からメールが来たのだが、タイトルが「おじさん」になっていた。今までタイトルを入れてきたことが無かったので、最初見た時、変な迷惑メールかと思ってしまった。

叔父はとりあえず今の所は異常が無いらしく、次の検査は10月だということらしい。しかし、3ヶ月も検査も無いなんていうのは不安な気がしないでもない。それに抜糸忘れた糸が出てきたらしく自分で抜いて抗菌ガーゼを張ったというから恐ろしい。私なら直ぐに電話して病院に飛んでいくだろうが・・・・

そうそう、しめは「おやすみ」だった。簡単な所が叔父らしい。



ある番組で未来への希望、みたいなタイトルで明日への希望を話し合っていた。未来を期待することは愚かなことで、今を大切にすることの方が大切だというのだが納得できないでもない。

特に癌という病気を治療していると、未来は不安を感じるものでもある。本当なら治療をしたので未来が明るいと手放しで喜べるのが一番いいのだが、そうは行かないのが癌の厄介な所だと思う。だからと言って何も治療をしないという事も得策ではない。それに抗がん剤治療をしていると目の前の副作用で手一杯という場合もある。実に厄介だ。

明るい未来を想像する時、人は果てしなく都合のいい事を頭に描きとても強くなる。傲慢になるのもそういうときだ。反対に不安な未来と向き合うとき、人は弱くなる。そういうときほど先の先を想像し弱さを増して行く。それが広がって悲観という心理も生み出す。しかし、先へ先へと走っていった想像がつい目の前にあるこの今という時間、今ある自分へ戻る時がある。その時初めて「今という時間を大切にしよう。一日一日を大切に生きていこう。今日は笑顔でいよう。」と思う。

私は不安な未来と向き合い悲観的になった。父は悲観の中から「一日でも元気で長生きをしたい」と自分を見つけ出した。私は父のその姿を見て今を生きる事を学んだ。

叔父は「兄貴(私の父)の年までは生きるからな」と悲観の中から目的を見つけた。

その叔父の姿に強さを見た。

叔父も父も未来への期待ではなく、希望を持っていた。その番組でも「未来に希望を持つ事は今を大切にする事だ。いたずらに未来を期待することは今の自分を知らないということだ」と言っていた。

そういうことを生かしきれないところが私の悪い所なのだが、せめて時々思い出して忘れないようにしよう・・・・・・

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