日航機事故

日航機事故から20年。私はあの事故の時、蓼科にいた。黒塗りの車が何台も走っていくので一体何があったのだろう?と疑問に思った。ホテルに帰って「飛行機が落ちた」と知った。あの時のショックは覚えている。

私が身辺整理をしてから飛行機に乗るのは、間違いなくこの事故の影響だ。まだ飛行機に乗ったことが無かった時で、この事故で私は飛行機という乗り物は覚悟が必要だと深く心に刻まれたのだった。

 

そして、520人の犠牲者だけでもかなりの人数なのに、事故に巻き込まれたその家族、友人の悲しみは数倍になる。突然家族を失った悲しみはきっと消える事は無いだろう。生活も一変し、できるはずの会話も出来ない。

まだ携帯の無い時代で、自分の状況を伝えるすべはメモぐらいだった。何人かが遺書を残されたようだが、それは機内で「もうダメかもしれない」という空気が流れていたのではないかと想像してしまった。9・11のテロの時には何人かが家族に携帯から電話をしていた、その時も機内は「ダメかもしれない」という空気が流れていたと聞いた事がある。そんな窮地の中で家族に何かを残そうとした方たちはとても立派だと思う。どうやったらそういう家族を想う愛情に満ちた行動が取れるのだろうか。。。。。

 

私が同じ状況だったとしても、家族に電話をしたり遺書を書くなど、何かをする自信はない。自分の事だけで頭が一杯になるかパニックになるのがせいぜいだろう。そう考えれば考えるほど、胸が詰まる思いがする。

遺族の方たちの悲しみが消えることは決して無いだろうが、亡くされた家族の分まで生き抜いて、と願いたい。。。。。

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