- Posted By: sakura-marina
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やっと手元に届いた。かなり画面がきれいで驚き。自分のホームページを見てみると、画像がかなり汚い。そのうち作り直さないと見苦しいなぁ、とぼやいてみる。。。。
データは復活できたのでなんとか安心だけれど、それにしても今まで自分がいかにパソコンを使った生活をしてるかを思い知らされた。写真を写せばパソコンで見るし、友達との連絡にもメールを使う。わからないことはすぐにパソコンに頼っていたし、古ぼけた地図しか持っていない私は、地図すらパソコンに頼る。
今、私の愛車には高度な技術を兼ね備えたカーナビなどという機械は搭載しておらず、レトロな仕様で満足している。自分で運転して遠出をすることなどほとんどないので、カーナビはほとんど出番がないが、極度の方向音痴の私にはあってもよい設備のひとつだと思っている。しかし、もし、カーナビを搭載した車に慣れてしまうとこれもカーナビなしでは運転が出来ないという、実に不自由な人間になりそうでそれも怖いといえばこわい。
でも、そうやって新しい技術に慣れていく事は「進歩」という言葉でまとめられるだろう。
父の車にはカーナビがあったのだが、父はカーナビと話をしながら運転するのが癖だった。
知っている道でカーナビを使うのはもちろん、初めての場所へ行くとき「お?こんなところで曲がらなくてもいいぞ。こっちの方が早道だ」などと文句をつけ、結局道に迷ったことがある。カーナビがあってもなくても道に迷っていたわけで、一体何の意味があってのカーナビか?と思うが、機械相手に闘争心を燃やし、自分がナビより近道を探したという一種意味のない喜びを感じて楽しむというのも、カーナビの利用方法かもしれないと、納得したものだ。それにこれも一種の進歩なんじゃないか?
そういえば母が携帯電話を持ったとき、それはそれなりに使いこなしていたが突然メールをすると言い出した。メールが出来るように契約を変更しいざ仕方を教える段階になったとき、「メールとは何だ?」と言い出した。「知らないのに使うのか?」と聞くと、母が言うには「メールをするとは言っていない。メールが何かを教えろと言っているんだ」と理解するには無理のある言い訳をしていた。もちろん犬のしつけ以上に丁寧に根気よく教えたが「私にはメールは必要ない」と私の悲しいまでの忍耐を踏みにじった。その後、母がメールという言葉を口にすると逃げることにしている。母の場合は進歩とは程遠いらしい。。。。
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