広島ドッグパーク

目を覆うばかりの惨状に自分の目を疑う。。。。。

本当にこのような状態が現実なのか? と怒りなどを通り越して「うそ?」というのが本当のところだ。

ボランティアの方達の活動はあちらこちらのブログなどで目にすることが出来るが、本当に頭の下がる思いで拝見している。物資は送らせてもらったけれど労働は難しいのが残念。。。。

人間の傲慢さ、命に対する軽い認識、そのほか様々な問題を含んでいて一言では言えないのだろうけれど、しかし、それ以上に大きいのは命を救おうとする人たちの強さ、たくましさだ。その力の強さが一匹でも多くの命を救うのだと思うと少しほっとする。

母は猛反対だけれど出来たらこの子達の中から我が家の家族として受け入れる事ができたらと思う。問題は、母だけではなくジュディーが大の犬嫌いであるためジュディーと相談をしいるところだが、ジュディーはいつも会う叔母のところのミッキーですら受け入れない。数日前にうちに来たラーメン屋さんのわんこに対しても家から追い出すほどの勢いで、ジュディーいわく「私はさくらしかダメなのよ!!!!!」だ・・・・

多分、引き取り手としての条件からは外れるような気がする。難しいところである。。。。。



しかし、誰かに救いの手を伸ばすときそれは自分が幸せでなくてはならない。幸せとは何不自由ないとか、お姫様のような生活をしているということではなく、心の中が幸せであるということだと思う。同情は誰にでもすぐに浮かんでくるけれど同情のいけないところは「消えやすい」というところで、本当に心が幸せな人は「同情」より「確信」を先に持つものらしい。確信とは「私が救いの手を伸ばすからには、あなたは必ず幸せになれる」というものでその気持ちは誰に対しても持てるものでもちろんすぐに消えるものではなくずっと心の中にあるものなのだ。

同じく、「可愛いから」というのも「消えやすい」。可愛いからペットが欲しい、と思うのなら「可愛くない時には捨てる」事ができてしまう。

ペットを飼うというのは、すぐに消え去る感情を脇に置き、その命ごとを大切に面倒が見ることが出来るかどうかという意味であることを忘れてしまっている。

 

私はどちらかというと「ジュディーとさくらに幸せにしてもらっている」方なので飼い主失格なのかもしれないがそれでも、2匹は私に対して幸せそうな表情をしてくれる。

今も2匹は平和そうに獏睡。。。。幸せだ

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