先生その2

中学生だったときのこと。

担任の先生が、私の家の数件隣に引っ越してきた。

担任がすぐ近所というのがとてもイヤで、何も悪いことをしていないのになんだか後ろめたい感じがしていた。おまけに、なんとなく先生を敬遠してしまうのだから先生も扱いにくい生徒だったんじゃないだろうか?

 

もちろんいつも家の近所で顔をあわせるわけではないが、学年が変わって担任が変わったときにほっとしたのが不思議だった。やはり、先生にとっては陰険でイヤな生徒だっただろう。



そして、中学を卒業し社会人になってから先生の奥様が亡くなられた。癌だった。私は元生徒として、そして何より近所として葬儀に参列をした。決して涙は見せなかったが悲しみを押し殺していると、容易に想像が出来た。

切れない縁というものも世の中にはあり、不思議なことにこの先生とはずっと近い関係でいるのだろうな、と感じた。

その後、我が家は、同じ町内だけれど少し離れたところへ引越しをしてしまったが、それでも犬の散歩などでは先生の家の前を通り、時々顔をあわせ「元気でやっているか? ヨメには行かないのか? ダメだぞ、そろそろ行かないと」などと中学の頃と同じ先生の口調で私に話しかけてきてくれる。あの頃、同じ町内を嫌がった事はすっかりと忘れ、会いたい時にいつでも会える恩師を持ったことを少し嬉しく思ったりしていた。

町内のお祭りでも先生は、いつもどおり中学生の私に話しかけるように話しかけ、そんな先生と話をすると、妙に素直になれるから不思議だ。



父の葬儀のとき、私はずっと顔を上げられなかった。参列者の方たちもどちらかというと私達家族には軽く会釈をすることはあっても、じっと見ないようにしているようだった。私も反対に参列者なら、遺族の方たちをじっと見たりすることは出来ないだろうから、自然なことなのかもしれない。

だが、なんとなく強い視線を感じ、顔を上げてみると、先生が私を見てにっこり微笑みかけてくれている。「元気を出せよ」とその先生の言っていることが離れて座る私に伝わってきた。「先生、ありがとう」届くはずはないが、必死に伝えた。

ついつい目を伏せてしまうのに、遠く離れた場所からでも、励ましてくれた先生の笑顔を忘れないようにしよう、と思った。



しばらくして先生に近所でお会いした。

「元気になったか? 立派なお父さんだったし、大切だっただろ? 悲しいけれどめげてばかりじゃダメだぞ。笑顔で過ごせよ」と声をかけてもらった。恩師にこうして励まされる自分を幸せだと涙が出てしまった。



2年前、先生からカードを頂いた。「再婚しました」と記されていた。嬉しかった。早速お祝いのカードを贈った。お幸せに・・・・・

でも先生のことだから、「今度は君の番だぞ」と言うに違いない。



今、先生の家の前を通ると車が2台並んでいる。


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