責められること

他人を責めることは非常に簡単だと、今日はつくづく感じた。

母方の親類は言葉がきつい人が多い。今日はお盆で、本当なら母方の実家に集まるが叔母が具合が悪いために我が家で集まった。久し振りに親戚達と顔をあわせたのだがこういうのは得意ではない。

父が闘病中、母の兄弟は私に「お父さんの面倒をよく見てあげるからお母さんは本当に助かっている。あなたがいて本当に良かった」と言ってくれていた。父が旅立った後も「お母さん一人では寂しいけれど、あなたが力になってくれているから、助かっている」と言ってくれた。

所が、今日「なぜ結婚をしない?母親の気持ちを考えたことがあるのか?いつまで母親に苦労をかける?」と責められた。お酒が入っているとはいえ、かなりきついと感じた。

もちろん、母の兄弟の言うことが間違っているとは思わない。ただ、ついこの間まで私の存在は肯定されていた。なのにほんの数ヶ月で裏と表と思えるほどの言葉に辛い気持ちになった。その時その時での自分の正直な気持ちを私に言うのだろうが、ここまで考えが変わるとは想像を超えている。

責められるにはそれだけの理由があるし、自己を振り返るいいきっかけでもある。しかし、他人を責めるとき、自分を振り返る事はあまりしない。中には自分がこうであるあから、という土台の元に他人を責める人もいるが、それは責めているのではなくアドバイスなのだろう?

それに他人を責めた後に残るのは、責めた人の自己満足だけだではないかとも思う。私と同じ境遇の子供を持った叔母から責められた時にふと、そう感じてしまった。

大体、そう思うことが私の悪い所なのだろうか? 素直に叔母からもらった言葉に反省をし、自己を戒めることが必要なのだろうか? 非常に苦しい心境になった。



が、ここでも私を助けるのは愛犬たちだ

 

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