- Posted By: sakura-marina
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最近知り合った方と一日一緒に過ごし色々な話をした。とても刺激を受けた。
色々なものから刺激を受けたり、心を動かされたりすることは多いと思う。しかし、今回私は刺激を受けても、それを自分の物に吸収していくという大切なことを学んだ。私はどちらかというと今までは刺激を受けたらそれっきりで、吸収して自分の物にしていくということを忘れていた気がする。いや、その方法を知らなくて刺激を受けるだけで止まっていたのかもしれない。
この方は写真を撮る方なのだけれど、初めて写真を拝見した時心が動いたのを感じた。そう、感動というやつだ。今まではあまり感動をする写真に出会ったことは無かったためか、その写真を何時までも見つめていた。
一緒にいる間、少し写真を写しておられたが、私が気がつきもしなかった所を見ていて、私が見ない角度から物を見る。そんな姿にも感動をしてしまった。同じ目を持っていても、見えるものが違うというのは、刺激を受けたものを吸収していく方法を知っているかどうかにも関係があるような気がした。
ふとこんな事を想像してみる・・・・
私の周りには広い場所がある。その場所の周りは森で囲まれていて、その森の外を見たことが無い。もちろん森の外にはもっと広くて綺麗な場所が広がっているがそれを知りもしない。ただ、自分の周りにある場所をうろうろとして、森に突き当たると又元の場所に戻っていく、という作業を続けている。そう、自分はちっぽけな場所に存在しているだけなのだ。
本当は誰でもその森を抜けることが出来る。ただ、漠然と森を見ただけなのか、それとも日々変化のある森を見て何かを感じ取るのか、その違いが先に広がる綺麗な世界を見れるかどうかの分かれ目となる。私はある人が森を抜けていくのを見て始めて気がついたのだ。あ、森は抜けるためにある、と。
ん~、私は想像力は豊からしいが、実行力が伴っていないんだな~。
相変わらず困ったヤツだな~・・・・。
実は、そんなことをボーっと考えてお風呂に入っていたら、1時間が経過していたことに気がつかなかった。当然、お風呂から出た時にはぐったりしていた。
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