ビデオ

久し振りに恭平のビデオを見た。ビデオに日付がなかったが多分今から10年以上前のビデオのようだ。ジュディーの子供の頃や、出産、さくらの赤ちゃんの頃の映像もある。
ビデオを見ていたら過去の事を色々思い出して涙を流したり、笑顔が出たりとなんだか忙しかった。恭平は活発で男の子らしいダックスだったが、そのビデオには恭平らしさが写っていた。いつもの表情、いつもの泣き声、いつもの仕草は懐かしく感じると思っていたけれど意外にも恭平を直ぐ側で感じた。そう、まだ恭平が元気で家の中にいるような感じというほうが正しいかな。。。。ただ、手を伸ばしても触れる事ができなくてもどかしさが残る。

いつもジュディーとさくらを散歩に連れて行くと、恭平がいたら・・・・と思うことが多い。悲しくて仕方のないという時期は過ぎたようだが、いるはずの恭平がいない事には中々慣れないようで、走り回る2匹の横に恭平を思い浮かべてボーッとしたりすることも多い。
ビデオを見ながらそんな私を少し反省した。ジュディーやさくらはここにいるから、と私が2匹に対して甘えがあると気がついたのだ。いなくなった恭平を悼む気持ちを2匹に対してどこかぶつけていたような、そんな感じだ。恭平が好きだった公園へは、恭平のために2匹を連れて行き、おやつは恭平が好きだった物を好んで買う。そういう事を知らず知らずのうちにしていた。口癖のように「恭平だったらそんなことはしない」と2匹に対して不満をぶつけることもある。

しかし、いなくなった恭平を悼む気持ちと、今いるジュディーとさくらを愛する気持ちが同じはずはなく、比べる事だっておかしい話だ。本当の意味での「愛するものを悼む気持ち」が何か判るところまではきていないが、それでも、違いを感じたからにはこの先何か答えが出るような気がする。抱っこできない恭平をずっと大切にするためには、やはり今まで以上にジュディーとさくらを大切にしていこう。

そして、そのビデオの中に父が出てきた。父の仕事場でジュディーと父を撮影したようだ。
父のいつもの声、いつもの笑顔、いつもの会話。。。。頑張って働く父の姿を思い出す。
遠くに感じて悲しかった父が、鮮明に甦ってきた。そして、すぐ近くにいるような感覚を覚える・・・・・

その近くに感じた父に改めて、ご苦労様でした・・・・・と言いたくなった。

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