自分は

温暖化のニュースで「企業や、団体が皆に温暖化防止のための行動をお願いしている」というようなことを言っていた。

個人のレベルとはいえ、個の行動に気をつけることで大幅に温暖化は進行を食い止めることにつながるというのはとてもよくわかることである。言われなくても可能なことは地域での積極的な運動などは行われていると思う。

心理として「自分は多分大丈夫」という気持ちがないと、戦争には行けないそうである。絶対に巻き込まれて命はないと思っていたら、命を粗末にする人以外は行かないだろう。

「自分は多分大丈夫」と思う気持ちはどんな時にもどんな状況にも起こりうるものであり、私などいつものことだ。

行かず後家と言われても、私は多分大丈夫。そのうち結婚するはず、とのんきに構えることは得意だし、これぐらい食べたって太りはしない。多分大丈夫、と言いながらシュークリームを食後に2ついただいたのは今日のことだし、走ったってこけはしない。多分大丈夫と思ってこけるという失敗も時々あるが、それは読みが甘かっただけのことだし。

ただ、問題はその先にある。その程度で事が終わるうちは、他人に迷惑をかけることはない。大体が、ドンクサイ、とか神経が鈍い、という評価を下されるだけで、私が結婚をしない、いやできないからといって「世間の皆様には多大なご迷惑を・・・」などと記者会見をする必要はない。それに、私がコケたからといって一人でこける分には他人には何の被害もない。「アホやな~」と同情を買うぐらいのことで終わる。

その問題とは、私が「結婚ができないのはあんたのせいだ」と近所の何も関係ないおばさんを非難したり、シュークリームを2つ食べて体重が増えたのはおかしい。あなたも食べて試してみてよ、と責任を転嫁したりしたときに起こる。

地球温暖化のそのニュースの言葉を聞きながら、この「自分は多分大丈夫」ということ感じた。個人だけにかかわらず、企業だってもちろん環境に多くの影響を与えている。だからこそ、「自分は大丈夫だけれど、個人個人で環境に気を配ってください」というのではなく、「私たちは・・・をしました。だからこそ、個人でも気を配るようにしてください」と言う方がよかったのじゃないかと思う。もちろん、企業だって気を配っているはずなのだから、表現を少し変えるだけで一体感が生まれ、取り組む姿勢も一人から家庭、家庭から企業、そして国、地球へと広がっていく。

 

そう言えば、「これは大丈夫」と思って使っていたパソコンが壊れた。見事な壊れっぷりであり、再起不能ということだ。修理? 買った方が・・・・らしい。愛用のマシーンは鉄くず状態に。今は借りたパソコンでなんとかなっている。

しかし、まだ大丈夫、このパソコンは大丈夫、そう思っていたからこそ5年も使っえたのだろう。ちなみに今までWindows Me という今じゃあまりお目にかかったことないのを使ってました。

現在、出窓にMy IBMの上に花を置いて飾ってあります。



<おまけ>

たまたま質問が重なったのでこちらで回答を。

恭平君はリビングにこんな風に一緒にいます。

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